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1990年代
阪神・淡路大震災の被害から
栄養・調理の情熱で完全復興 |
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1995(平成7)年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生。校舎は1階部分が完全に倒壊し、新しく入れ替えた調理施設のすべてが瓦礫の山と化しました。早朝であったため、学生・教職員ともに無事だったことが、何よりの幸いでした。学校に隣接する学生寮も全壊しましたが、寮生全員無事でした。
震災で全壊した校舎は再開の目処が立ちませんでした。しかし、「今在校している学生を卒業させることが、学校の責務だ」との励ましを受け、震災3日後には解体と、仮設のプレハブ校舎を発注、調理室、実験室も整備して授業を再開しました。
この年に開催された、調理師養成調理技術コンクール全国大会「グルメピック」で、本校の学生2名が、震災の苦境を乗り越えて見事に全国大会で入賞したことも、学校再開の大きな励みになりました。「グルメピック」は、全国の約270の調理師養成施設から約2万4千人が参加、各地の予選を経て全国大会に出場できるのは210名のみという難関で、調理師を目指す学生たちにとっては最も権威ある大会です。
翌1996(平成9)年10月、旧校舎より2倍の床面積を確保した新校舎が竣工しました。もし、授業中に震災があったら、多数の死傷者が出ていたと考え、同規模の地震に見まわれても、外壁にヒビも入らないような堅牢な設計を指示し、学生が安心して学べるSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)の校舎を建設しました。
1997(平成9)年1月、調理師科昼間部2年制、衛生専門課程、総合調理スペシャリストコースが、同年9月には、製菓衛生師科昼間部が、それぞれ厚生労働省から認可されました。
2003(平成15)年5月、震災後の学校再建に尽力した丸山博久氏が理事長に就任。2004(平成16)年4月、本校は「兵庫栄養調理製菓専門学校」と校名を変更。1946年10月に、戦後の廃墟の中で日本の栄養改善の意欲から開校した拭石季枝の、すべての人々が健康であるようにとの、厳しい中にも家庭味溢れる教育精神は、2006年10月に創立60年を迎える今も、本校の隅々にまで根付いています。 |
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