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1970年代
個人経営から学校法人へ
大村潤之助が2代目校長に就任 |
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1970(昭和45)年1月、同年夏に大阪府千里丘陵を開発して開催された万国博覧会に先駆け、朝日新聞社主催による「世界の料理展」が大阪梅田の阪神百貨店で開催されました。拭石季枝は朝日新聞社の依頼を受け、主要各国の在日大使館を訪問して、それぞれの国の食材集めを依頼、本国と同一素材による料理を展覧会に提供。食生活における国際親善に努めました。
1972(昭和47)年7月、これまで個人経営だった学校を学校法人にすべく、その道のスペシャリストで、拭石季枝の妹・登久子の夫だった大村潤之助氏を理事長に招聘、「学校法人兵庫栄養専門学校」を設立しました。
1976(昭和51)年には、当時の文部省から専修学校の認可を受け、栄養専門課程に栄養士科、調理・製菓高等過程に調理師科(昼間部・夜間部)と製菓衛生師科(夜間部)を置く、食の総合専門学校として、これまで以上、内外から高い評価を得るようになりました。
1983(昭和58)年9月、生涯の多くの時間を「食と健康」の道に尽力した拭石季枝は、68歳の生涯を閉じました。
大村潤之助氏が2代目校長に就任。1993(平成5)年、大村潤之助氏の没後、大村登久子氏が3代目校長に就任し現在に至っています。 |
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